加佐の岬の美しい海岸線の景色を堪能して、再び車に乗り込んで約5分。加佐の岬の先端から金沢方向に見えていた「橋立 尼御前」という場所に到着。
ここもどうやら景勝地のようなので、早速見学。岬の近くにやはり看板があって、義経の逃亡時に従っていた「尼御前」が、安宅関を前にして足手まといになることを恐れて断崖から身を投じたと言う謂れが書かれています。
そもそも日本史よりも地層や地形に興味がある私なので、義経が落ち延びたという話もまったく記憶にありません。
ただ周囲の海岸線を見て回ると、確かにそういった伝説があってもおかしくないような断崖になっていました。
ちなみにこの場所は北陸自動車道の「尼御前SA」からすぐ近くのところにあり、SA裏手から一般道に出て、徒歩で歩いてこれるようです。
岬の先端に行く途中に、身を投げたと言われる尼御前の銅像も建てられていましたが、その表情がなんとも穏やかでした。
再び車に乗り込み先へ進みます。右側に小松空港の広大な敷地があるように地図上では見えたので、飛行機の発着を近くで見られるかと期待したのですが、それほど離発着の回数は多くないようでした。
「残念」と思いながら空港を通り過ぎると、今度は「安宅関」という名所の看板を発見。
どんな関でどんな謂れがあるのかまったく私は知らなかったのですが、ともかく名前だけは記憶にあったので、行って見る事にしました。
車を駐車場に停め、安宅関跡と思われる場所に歩いていくと、神社があり、「ふ〜ん、せっかくの機会だからお賽銭でも」と思って近づくと、中から現れた若い巫女さんが、「説明をしますので中へどうぞ」と半ば強引に誘われました。
高校生か女子大生と思われるような女性に、この場所の説明を受け、ようやく義経と弁慶がこの関を通過するに当たっていろいろな出来事があったという歴史的事実を知りました。
歌舞伎でも有名な話のようですが、これまた私の興味を惹いたことはありませんので、よく分かりません。
お姉さんの流暢な説明に「ありがとうございました」と丁寧にお礼を言って、さらに海のほうにあるといわれる銅像を見てきました。
実際の関跡も見ましたが、ここは痕跡だけです。どういうわけかアジア系の若者の観光客が熱心に写真を撮影していました。
というわけで、日本の歴史にちょっと触れたなと思いながら車に乗車です。