東日本大震災の爪痕

 朝から小雨が降っていたので最初は車内から景色を見ていたのですが、雨が小やみになった頃を見計らって、全体を見たいと思い海側に歩いていくと、地元の方が犬を連れて散歩をしていました。

 本当に大変だったんだろうなと思いつつ黙礼をすると「どこから来たんだ?」というので、「埼玉からです」と答えると、「狭山に親戚がいるんだ」という話になり、少しだけ当時の様子を教えてもらうことが出来ました。

東日本大震災の爪痕

 この地区だけで60人の方が亡くなったということで、たまたまこの方は私が観光気分で目指していた岬の麓のちょっと高台の家にいたため助かったと言っていましたが、その家から現在の土台だけの空間が一望の元に見渡せますので、当時の恐怖感はものすごいものだったと思います。

 それにしてもコンクリートの土台だけが延々と連なっている様子は何とも言えない荒涼感です。ここで生活していた人がいたんだと思うと、何ともやるせない気持ちになります。

 海側の堤防は海面から5m以上あったと思いますが、そこを簡単に乗り越え、家を土台からもぎ取るような水の力というのは想像を絶します。逆に言うとそんな津波なんか来るわけがないと思っていた人も大勢いたのだと思います。

海面からの高さ

 これはもう言葉で説明するより、写真の方が説得力があります。背中側が海で、内陸の少し左側を撮影しました。奥の方に見える家まで数百mの距離があります。

東日本大震災の爪痕

 写真左側の白いコンクリートの家は、2階まで水が来たようで、建物は倒壊していませんでしたが、海側の窓はめちゃめちゃに壊れ、家の中が丸見えのまま放置されていました。3階は無事だったようです、その差がはっきり分かります。

 家や家財道具の一部は引き波と共に海の中にひっぱりこまれたのだと思います。残りはがれきと化したのだと思いますが、海沿いの一部の道路からは余り見えないところに、いまだにがれきが置かれていることを帰りがけの道で確認しました。



四ツ倉港から豊間へ



2013年旅行記


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